『公仁子とバレエ・第2章』
(母親の手記)

ドイツ・ハンブルグ国立バレエ学校での生活がはじまりました。この学校は振付師としても踊り手としても世界的に有名なジョン・ノイマイヤーが校長先生です。

10代のバレエを志す子供達のために本格的なレッスンをする所です。
毎学期試験があり不適格者は、どんどん退学させる事を後になって知りました。編入されたのはテアタークラスと云って最終段階の二年間のA・BのBクラスでした。毎日かなりハードなレッスンが組まれており,学生の国籍もスイス・フランス・ギリシャ・スペイン・オーストラリア等々でクラスの人員は21名でした。
女子男子約半数で毎日クラシックバレエ他モダン・フォルクロール・スパニッシュの踊りの他に語学(ドイツ語)・音楽理論・人体構造学などの授業がありました。

小学生と四歳の男の子の居るドイツの家庭にホームスティさせて頂き朝八時半から昼休みをはさみ夜まで授業がある日もあり、バレエ学校の厳しさを実感する日々でした。

第一に言葉の壁、第二に食事・洗濯・買物等々身の回りすべての自己管理。それまでの生活と一変した中でのハードなトレーニングに無我夢中の日々となりました。


『公仁子からの手紙の抜粋』

(手紙1、一人ぼっち・言葉が通じない!)

言葉の通じない私が、今一番困っているのはスケジュールのことです。カリキュム通りにレッスンのある日が殆ど無く、行ってみると誰も来ていなかったり、友達に教えてもらって慌てて行ったり、何処の教室でやっているのか分からなかったりですが、ツィグラーさん(事務の女性)がちょくちょく様子を見に来てくれるので何とかやって行けそうです。一週間位は「一人ぼっちになってしまった」と思い悲しくなっていましたが日曜日に教会の鐘の音が聞こえて来た時からとてもほっとして一人で聖書を読んだり賛美歌を唄ったりしています。

(手紙2、週末は店が全部閉まってしまう!)

この週末危く食べ物が無くなりそうになってしまいました。土曜日午後アルスターハウスでミルクとパンとハムとスープの素を籠に入れ野菜や果物も買っておこうとしてふと見ると辺りがしーんとしているのに気が付き急いでレジに行ってみると店員さんにびっくりした顔で「今日は二時までだよ」と云われてしまいましたが、でも一応籠に入れたものだけは買わせてくれたので何とか週末の食事を手に入れることは出来ました。

(手紙3、失敗の連続、でも友達が皆とても親切)

やっと1ケ月が過ぎました。その間学校では毎日毎日色々な失敗を繰り返し泣きたくなる様な思いを沢山して来ました。けれど、友達が皆とても親切でいい人達で、特にドイツ人がとても親切に色々教えてくれます。それから、ドイツ語のドロテア先生がとても優しくそして熱心に私にドイツ語を教えて下さるのです。それで、人に対しては嫌な感情を持ったことは殆どありません。それが私にとって本当に幸せな事です。そのかわり、自分の欠点が表面に表れて悲しく思います。不注意な性格、だらしない所、弱い所が今の自分を苦しめている様に思います。だから、今はただ自分を良く見つめ自分に勝たなくてはいけないと思います。

〔手紙4、始めてオペラ劇場にでられます!〕

こちらに来てから三ケ月がたちました。何と『ツァー・ウント・ツィママン』と云うオペラで私もオペラ劇場の舞台に立つことが出来ることになったのです。本物の木靴を履いて踊ります。クリスコフと云うスイス人の男の子と組みます。クリスコフは顔が整っていて真面目そうに見えるけれどとても面白く親切な人です。寒さが厳しくなって来た上霧が深い日が多くなりました。私は霧の日が神秘的で大好きです。

(手紙5、期末試験)

12月になったので、テストがありました。2時からいつものシキンダンス先生の時間にノイマイヤー校長をはじめ先生方全員が私達のレッスンを見ているのです。とにかくとても緊張しました。結果はまだ分かりません。

(手紙6、試験の結果は?)

テストの後、来なくなった人が何人か居ます。どうもやめさせられたらしいです。原因は私には分かりません。私は先生に呼ばれ土踏まずの力が弱くアーチが足りないこと、立ち方が悪いこと等を注意されました。上半身はとても良いと言われました。それで、立ち方のトレーニングに行く事になりました。脚の内側の筋肉が弱いからこのままだとふくらはぎやももに負担がかかって太くなるので毎日トレーニングしなさいと言われ太いゴム紐を使うトレーニングの方法を教えてもらいました。

(手紙7、ハードなトレーニング、先生の適切なアドバイス、ベジャールとマリシア・ハイデーが来ています!)

先週一週間はとてもハードな毎日でした。バレエ団が講演旅行に出掛けたのでレッスン場が空いていて私達が一日中使うことが出来たので毎日朝から夜までレッスンが続いたのです。最後の方は皆ゼイゼイ言っていました。次の日はみんな筋肉痛に苦しみました。

今日の先生はトリクシーと言う女の先生で土曜だけ時々見て下さる方ですが、三クラス合同で大人数だったのに私のことを特別良く見て下さいました。足をよく開くことと私の欠点である土踏まずの力が足りない所を重点的に見て下さり毎日欠かさずすると良いと云うトレーニング方法を教えて下さいました。とことん頑張って見ようと思っています。それから、今バレエ団にベジャールとマリシア・ハイデーが来ているのですよ。私達がレッスンしている横を何度か通りすぎて行きましたがレッスン中で良く見られなくて残念でした。

(手紙8、ノイマイアー振付『白鳥の湖』に私も出る事に…)

ノイマイヤーの『白鳥の湖』の公演に私たちティアタークラスの生徒も出る事になりました。話は現代の若者が見た夢の様にしてあって、普通のとは随分違っています。でもとても面白いですよ。私達生徒は三幕で色々な国の衣装を着て歩き回る役です。皆、目の所にマスクを掛けるのですが私は鼻の高さが合わない!五ミリ位すき間が出来てしまうのです。今日始めて衣装が出来て来て皆着てみたのですが皆して涙が出るほど笑ってしまいました。特に男の子のかぼちゃの様なズボンやピンクの花飾りのついたブラウスに首のところにふわふわの飾りがついたのが可笑しくてたまりません。私は衣装は良いのだけど中国人の役だということで身体中出ている部分を全部黄色に塗られてしまいました。それで、皆が可笑しがって大笑いされてしまったんです。今週はオペラやバレエの舞台があって忙しいのにティルとヤニック(下宿の子供達)が風邪をひいて夜中中「ママーママー」と呼ぶので目が覚めてしまい寝不足気味ですが元気に生活しています。

(手紙9、東京バレエ団がハンブルグに来たんです)

イースターを迎えハンブルグもすっかり春らしくなりました。アルスター湖の周りに桜が沢山咲き芝の中にはクロッカスが一杯咲き始めました。東京バレエ団が公演にやって来て『ザ・カブキ』を観ました。パーティーには私も出させて頂きました。勝又さんに久し振りに会えて嬉しいでした。『ザ・カブキ』の評判はとてもよいです。

(手紙10、学校創立10周年記念の公演!)

学校の十周年記念の公演が二日間に亘ってありました。私意外はみんな親が見に来ました。私達の踊りは二日間とも大成功だった様です。『四季』と云う題の中のザイルテンツァリンと云う役を踊りました。大変だったけれどとても楽しく素晴らしい二日間でした。

この間スパニッシュの授業の後、見学していたおばさんに『あなたのカスタネットはとての上手だわ』と誉めてもらっちゃいました。先生も日本人は器用だと云ってくれます。

(手紙11、進路に悩んでいます)

私のバレエ留学も残り少なくなって来ています。帰ったら学校に戻るか、それともバレエの道へ進むか今悩んでいます。こちらの学校の友達はもうバレエを踊り続けてゆこうと決心している人ばかり。自分の決めた道を進んでいるのです。

(手紙12、学年末の試験にパス!もう一年留学のチャンスが…卒業も夢ではなくなりました)

6月18日は、朝十一時から試験開始でした。結局、この一年間の終わりに七年生(ティアタークラスB)で試験を受けられる所まで来られたのはたった八人でした。もうこの学校でのレッスンも終わりになると思うので本当に全力投球したいと考えとにかく凄く一生懸命出来たんです。
もう日本に帰る人だから私の事はあまり見て貰えないだろうと思っていたのにノイマイヤー校長を始め先生達が最後まで私のことばかり見ている感じだったし,私のことを話しているのが聞こえたので何だか嬉しくなっちゃいました。終わってから控え室に来たらツィグラーさんが、ノイマイヤー校長が『もう、一年間ここでちゃんと練習すれば次の年にはきっと良いダンサーになるだろう』と、云ってたと話してくれたんです。

そして今日二十日シルビア・トステン・ヨハネス・ミーシャと私の五人でホニー先生の家に詳しい話を聞きに行って来ましたが、行きには皆で楽しく話しながら行ったのに帰りはそういきませんでした。良い話は私だけで、シルビアとトステンは後半半年だけ様子を見るがミーシャとヨハネスはもうこれ以上は難しいので置いて上げられないと言う事でした。先生が試験の時のビデオを見せている間、ミーシャは大声をあげて泣いていました。私までが悲しくなってしまいました。

不適格な子を何時までも居させるのは気の毒という考え方なので仕方ないのですが…。こんなわけで日本に帰る一週間前になってもう一年ハンブルグバレエ学校の生徒として在籍することが決まりました。これで卒業することが出来ればバレリーナーとしての道が開けるのだと胸を膨らせました。けれど、それまでには、又二回程試験を受けなくてはならず、それをクリア―出来ればの話ですが…。夢を一杯に膨らませて一年振りに夏休みの日本に帰って行きます。

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