『公仁子とバレエ・第3章』
(母親の手記)

ハンブルグ、バレエ学校の二年目を迎えました。今までホームステイさせて下さったエンデマン家が引っ越すことになりました。困っている所へ親日家の女流詩人のエルフリーデ、ステフエンスさんご夫婦のアパートが空いているので、貸して下さることになりました。子供の居ない老夫婦ですが、とても親切な方です。娘の様に可愛がって下さいます。それまでお世話になったエンデマンのサラサラの金髪の二人の子供達に折り紙で鶴や兜を作ってあげたり折角仲良くなったのに残念でしたが、一人で自由にくらせるのも嬉しいことです。二年目の学校は下から上がってきた生徒も加えて又二十五人位で賑やかにスタートしました。言葉を大分話せるようになったので、随分楽になりました。日本食の店や日本人会館の場所もわかり、やっと日本の方との接点が出来ました。

「公人子から家への手紙の抜粋」

手紙1、(ボンに公演に行きます!)

さて、今回は一寸素敵なお知らせがあります。10月の終りにカンパニーと一緒にティアタークラスの皆でボンに公演に行く事になりました。モダンバレエのエチュードを踊るのです。私もそれに出るんです。このところ私達のクラスは何故か怪我人が多く欠席や見学をしていますが私は健康で暮らしています。

手紙2、(練習に励む日々)

言葉が少しづつ通じる様になったのでドイツ人やスイス人の友達と楽しくやっています。それで気持も去年より積極的になったように思いますレッスン中は先生の注意を無心になって聞き頑張っているせいか、どの先生もとても良く見て下さいます。今は、廻りのことに気を散らさず謙虚に励むことが大切だと思います。家でもアナトミーの単語調べやコンポの踊り作りなどで忙しいのですが、たった1人だと気持ちに張りがなくなり1寸だらけた暮らしになりがち。気をつけなければ…。

手紙3、(ヨーロッパ各地の先生が来て下さる)

今週から新しいゲストの先生が来て下さいます。男の先生でヤン、ノイスと云う名前でオランダ人だそうですがアメリカやフランスで教えていた方だそうです。とても面白い先生で楽しいレッスンです。とても可愛いがって頂いてます。色々なゲストの先生が来て下さり、見て頂けるなんて本当に夢の様に素晴らしいことだと思います。この留学を今更のように深く感謝しています。

手紙4、(ボンの公演)

ボンへの旅はとても素晴らしいものでした。電車もファーストクラスだし、バスもデラツクスだし、泊まったのもとてもとても素敵なホテルでした。ライン川沿いの古い建物です。1日目電車でボンに着いてからすぐオペラ座に向かってレッスンでした。二日目に本番でした。元気一杯楽しく踊りました。その後パーティがありました。ホテルの部屋はカローラ(ドイツ人)と一緒だったので何時も二人で行動し仲良くなりました。

手紙5、(期末試験)

先日、コンポで自分で作った踊りをノイマイヤー校長はじめ、先生方の前で踊りました。

ドビッシー作品のフルートのソロが課題曲でそれに自分で振りつけたのを踊るのです。私は日本の扇子を使って踊りました。そしてその後、期末試験がやってきたのです。例の如くノイマイヤー校長をはじめ全部の先生が見ている前で全てのレッスンと踊りをするのです。昨日の午後、一人づつ先生の部屋に呼ばれ結果を聞いたのです。私は何と一番に呼ばれ来年からは最上級クラスに行く事が決まったと言われました。卒業も夢でなくなりそう。全ての先生皆がすごく誉めてくれました。『すごく良かった』と皆言って下さいました。私はそんなわけで幸せ一杯なんだけれど部屋から泣きながら出て来る人も少なくありませんでした。まだ誰がどうなったは良く分かりませんが、やめさせられる人下のクラスに落とされる人もあり本当に厳しい世界だなーとつくづく思いました。結局、6人位が学校を去ってゆき4人位が下のクラスへ落とされました。

手紙6、(冬休みに日本から学校の友人二人が訪ねて来てくれました。三人でスイス・オランダへと旅をしました)

グリンデルワルドに着きました。街中雪に覆われ景色も最高そしてホテルの窓から夜空の星がとても美しくハイジになった気分でした。スキーも楽しんでオランダに行きます。私のドイツ語で全て何とかなっています。自分でも驚いているくらいです。

手紙7、(オーデイションの季節)

一月になり、オーデションの季節を迎えたのでクラスの友達とオーデション廻りに行く事になりました。行って見ると沢山の人が受けに来ているのに、どのバレエ団でも一人とか二人しか取らないので皆落とされてしまいます。日本人のダンサーも何人か来ていたので話をしましたが空きがあると聞くと行って受けてみるけど片っ端から落ちていると言っていました。予想以上に厳しい現実です。でも、私の場合はまだ卒業が出来るかが今一番の問題なので経験のつもりで行ってみたのです。それから、バレエ学校の校舎が新しくなって来期からそちらへ移る事になりました。それで私達がここで勉強する最後の生徒になるのです。この間皆で見てきましたが広くて寮もある様でした。

手紙8、(ニジンスキーガラ)

この間、ニジンスキーガラと言う公演がオペラ劇場でありました。私達生徒にも券を頂いたので皆でがやがやと出掛けて行きました。ところが、入口の所でツィグラーさんが待っていて私達の服装を見て、かんかんに怒ってしまいました。『何て汚い人達なの!本当は入れて上げたくないけれど仕方がないから目立たない様に入って!』入ってみて分かりました。お客様はみんなとっても綺麗な格好して来ているんです。年取った婦人も胸のあいたイブニングに綺麗なネックレスなんかして…。それなのに私達ときたらジーパンにTシャツの普段着、ツィグラーさんが怒るのも無理ない!。出演者もヨーロッパ各地から有名なダンサーが集められて素晴らしい舞台でした。

手紙9、(いよいよ卒業試験が迫ってきました)

学校ではもう卒業試験に発表する踊りを練習しています。後一ケ月後に迫った試験の最後の追い込みに入ります。アナトミー(人体構造学)や音楽理論の試験やバレエの歴史のレポート等考えただけで逃げ出したいような気持ちです。コンポの踊りももう一つ作らなくてはならないし…。でも、後1ケ月泣いても笑っても1ケ月で終りが来るんだから。そう考えて何とか頑張っています。でも、そんな中で一寸したアルバイトをしたんです。ソニーが主催したアルスター湖で船の上で花火を見ながら日本食をドイツ人のお客にご馳走するお手伝いです。二時間位船下りを楽しんでから花火を見ました。夕陽が美しく、緑が美しく最高の気分でした。一緒に働いたドイツ人も皆良い人でした。お客様も大喜びでした。

手紙10、(厳しい卒業試験)

昨日で遂に卒業試験が終わりました。この二週間本当にめちゃくちゃなレッスン量で毎日フーフー言いながら頑張って来たんです。『先生は私達を殺そうとしているに違いない』なんて言う人もいた位。大変だったけど今考えるとものすごく充実した良い日々だったと思います。クラシックのバーレッスンからはじまりセンターレッスン、トウシューズレッスン、バリエーション、パド・ドウ、モダンの床レッスン、センターレッスン、バリエーション、コンポジション二つ、フォークロールのバリエーション、センターレッスン、バリーエション、スパニシュのカスターネットレッスン、バリエーション二つ、これだけを毎日毎日やっていたの。しかも、良い天気が続いたもので暑くて暑くて毎日ミネラルウオーターを1,5リットルは軽く飲んでいました。学科の試験は口頭とレポートでこの二ケ月間に全て終わっています。いよいよ、6月30日と7月1日の二日間にわたって試験です一日目はクラシック、二日目はモダンやその他のものをやりました。朝、賛美歌を一人で唄って出掛けました。流石にすごく緊張しました。結果については神様にお任せして私自身はたゞたゞ一生懸命やろう、と思ってやりました。小さな失敗はあったけど二日間一生懸命,力一杯出来ました。だから、自分としては満足しています。終わった時、思わず皆で抱き合っちゃう位嬉しかったんです。結局、卒業試験を受けられる所まで来られたのは男の子5人女の子5人の計10人でした。卒業試験を受けさせてもらえるまでこの学校に居させてもらえた事だけでも本当に感謝で一杯。今は何とも言えない幸福を感じています。今だからこう書けるけど一週間前までは本当に何処かに逃げ出したい気分でした。コンポは思うように作れないし足は痛いしレッスンはきついし、食料品を買う暇さえないし…。そして今、その山を乗り越える事が出来た事を実感しています。これで卒業証書を頂ければ最高なんだけれど…。結果は來週聞く事になっています

こうして、ハンブルグ・バレエ学校の生活は終わりました。待望のジョン・ノイマイヤー校長の励ましの言葉とサインの入った卒業証書を手にした時は夢の様な気持ちでした。

アパートを貸して下さったステフェンス夫妻が『素晴らしい、たいしたものだ』と自分達の事の様に喜んで下さいました。ステフェンスさん、バレエ学校の先生、友人、周りに居たドイツの皆さんのお蔭でこの日が迎えられたのです。そして、卒業証書を持って喜びに溢れて日本に帰国することが出来たのです。バレリーナーとしての第一歩が始まりました。

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